酔っ払い    2010/7/31(Sat)

  26日からペロは2泊3日のキャンプに出かけた。以前なら飲みもしなかったお酒(梅酒)をどれだけ飲んでも酔っ払わないこの数ヶ月。しほは酔っ払わないと…泣かないと…。で、27日は午前11時半から17時半までしこたま飲んだ。ビール、ワイン、ハイボール、梅酒。しこたま飲んで酔っ払ってはいるが、日記は更新できる余裕はある(^-^)。さすがにレッスンは無理だけれど…(;^_^A


■    オルセー美術館展    ■

  国立新美術館で開催されている『オルセー美術館展』を26日に一人で観に行った。

  ペロにも見せたいものだが、いかんせん今は夏休みで20分待ち。そこまでのものがあるのか、は不明。

  それでも、個人的には大好きな作家の作品がいくつも展示されていて嬉しかった。以前から思っていたが、ゴッホの絵は何かわたしを揺り動かす。ゴッホという名前が先走りしてしまっているのか、本当に好きなのかは判別できない。どちらかは分からない。ゴッホの代表作の一つ『ファンゴッホの寝室』の前で釘付けになった。今まで何度も印刷のものは見ていた。原本は違う。胸が熱くなった。感情が身体の中で渦巻き出口を探しているかの感覚。ここで泣ければきっといいのだろう。まさかこの絵でこんな感情が湧き出るとは思いもしなかった。

  やはり、ゴッホはなんでか私は好きなんだ。これは好みの問題である。


  ゴーギャンの絵にも数点会えた。印刷とは全く違う色彩。線。ゴッホがゴーギャンに惚れた感覚が分かる気がした。それくらい迫力があり、また、優しさを内包していた。


  シスレーなどの作品も、それなりに温かく好きだ。好きだが、では、この絵で感動するか、というとまた違う。

  アンリ・ルソーの作品は2点。いやぁ、迫力がありました。なにか本当にすごい。でも、怖い。そんなに好きではないが無視はできない。

  ドニの作品「ミューズたち」も個人的には好き。ロートレックもいいなぁ。


  混んでいたけれど、こちらも一人なので、非常に楽しめた。


■    泣く    ■

  実母が亡くなったわけだから、唯一無二の人が亡くなったわけだから、死ぬと分かった2月23日からどこかで私は泣くべきだったのだが、まだ一回も泣けていない。

  人として、どこかで泣かないとバランスを崩しそうである。

  泣ける場所はないか、泣ける人はいないか、をずっと探している。

  本当なら、本家スタジオのH先生の前で泣けそうだったが、外野がいて泣けなかった。泣かないとバランスを崩す。何かがひっかかっている。元プリマの先生に電話をした。やっと少し泣けた。でも、まだ足りない。


■    『トイ・ストーリー3』    ■

  その代わり?『トイ・ストーリー3』で泣いた。ネタばれになってしまうので控えるが、きっと皆さんと全く違うところで一回、そして、皆さんとほぼ同じところで泣いた。とめどなく涙があふれる。ふとした疑問だが、3Dで見ていたら涙はどのように処理するのだろうか?ペロに聞くと、「うーん。ペロはまだ子どもだからねぇ。」と、泣かない理由を述べた。確かにこの映画で泣くのは大人だろう。

  ペロは、映画をお気に入りのピンクミニーと鑑賞。ペロの気がかりは、大学に行くときピンクミニーを連れて行けるか?

  もちろん(^-^)!


■    『サウンド・オブ・ミュージック』    ■

  劇団四季の『サウンド・オブ・ミュージック』を家族3人で観に行った。本家はブロードウェイ?映画?ともかく映画の『サウンド・オブ・ミュージック』は中学のときに映画館で観た。唐突だが、わたしはジェームス・ディーンの顔や雰囲気が大好きだ。ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』と『サウンド・オブ・ミュージック』の二本立てが中学時代にきたのだ。時代背景は想像することができる程度の映画を2本。ジェームス・ディーンは好きだから、ただただ格好いい、で終始。なんで反抗しているのかは知らないw。両者ともこの長さは非常に苦痛で、なんとなくしか覚えていない。


  うろ覚えがよかったのか、初めて劇団四季の舞台に感動した。ああ、そういえば、、、といううろ覚えのシーンもある。こんな作品だったんだね。ナチスが支配を強めた時代。ハイル・ヒットラーが舞台で行われる。ペロにとって生まれて初めてのナチスである。ペロは怖がった。ペロのその感受性は大切にしよう。


■    個人面談    ■

「何か気になることはありますか?」

  と最初に聞かれると聞いていたので、「見る力が足りない気がします。」

  よく分からないけれど、全般的にとにかくペロは楽しくやっているみたい。


「3月(1年経った)に期待してください。」

  しほからするペロと一緒に克服する課題は、特に言葉遣い、予てから気にしている男尊女卑ならぬ女尊男卑思想をどうにかせねば。あとは、目前で行われていることを見る力を養う、見ているものとやることをリンクさせる。相手あってのこともあるしね。あとは運動系ね。自信をつけること。

  親ばかでなく思うのだが、ペロの運動神経が悪いと思ったことがない。運動で身をたてるかも、などどは全く思わないが、人並み以上にはできると思っている。見る力が足りないのかもしれないし、見たものとやることがリンクできていないのかもしれないし、要領がただ悪いのかもしれない。どれでもいいのだが、早めに手を打たないと、〔できない〕と自分で思ってしまうので要注意である。


  あまり責めてもなんだから、褒めもいくつか。ペロの字が非常に綺麗になった。ペロの学校は百人一首をやるのだが、彼女は百人一首を既にいくつか覚えた。しかも、その詠み方がとても上手い。1から10までの足し算、引き算の暗算カードを毎日、ストップウオッチで計るのだが、それも早い。音読もうまい。


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    皆さんお元気ですか?    2010/7/26(Mon)

■    功徳    ■

  7月12日に母は亡くなりました。

  彼女の最期の5ヶ月間は、

『はて?なんの功徳があったのだろう??』

  と、思うほど傍目から見れば幸せな日々でした。


  そう。傍目から見れば。


  彼女は生きたかったんですねぇ…。車椅子生活も納得していなかった。今の状況を嘆いていた。


  でもね。しほからみれば、子どもも寄り付かない一人暮らしで孤独死しても仕方がなかった。具合が悪い、と訴え子ども達を不安と恐怖に小さい頃から陥れながら、大の病院嫌いで行かなかった。
  数年前になんとか連れ出そうと、弟一家が幼児も抱え車飛ばして行ったが門前払いをくらわせた。友人達も「出てくるまで動かない」とずっと呼びかけたが、門前払いした。
  そんな母を家から出させるために、神様というものがあるのなら神様が、大腿骨を折ったのだと思う。単に大腿骨が折れただけなら、歩く機能がおちるだけだったが、そこを癌で折らせた。

  いきなりの末期がん。
  だからこそ、寄り付かなかった子どもらが集結して、喧嘩しながら、一人一人が母に一番いいことを、と必死になった。 みんなが可能な限り母の側にいた。
  また、通常なら処置なしで、小さい病院を転々とするところを、癌が進みすぎて元の癌を特定できず、大きな総合病院で家にいるより安い値段で約3ヶ月も快適にいられた。
  特定できた途端、以前からの願望だった都心のホスピスに入る。個室で好きにやって、面会の制限もなく、お酒の制限もなく、外出の制限もなく、、、。痛みが出ない期間も長かった。 痛みが出ればすぐに対応してくれる安心もあった。


  本当、なんの功徳があったのか、、、。もし、わたしが母と同じようになったとしても、あんなに恵まれた期間を過ごせないだろう。


  最期は、子どもら全員、孫全員に手を握られ、「お母さん、大丈夫だよ」「おばあちゃん、大好き」という声の中、息をひきとった。弟の嫁が一瞬買い物に出たときだった。ある意味天晴(笑)。

  本当に、傍目からすればどれほど恵まれたことなのか。


  しかし、彼女は生きたかったのだ。死にたくなかったのだ。それを本当に知ったのは、最期の1週間強泊り込みをはじめた頃。


  生きたくて仕方がない人を、死ぬ覚悟がいるホスピスに入れたのは、わたし。


  やはり、功徳がなかったのか。それとも、傍目からすれば非常に幸せな母には功徳があったのか。


■    コミュニケーション能力    ■

★  テレビ


  母は非常に頭が柔らかい人なので、お笑いの”はんにゃ”の金田という人のファンで、ピラメキーノなるテレビをペロにも観させていた。

  今までペロの成長をみていて、”これは母だ…”と思ったことが目の前で繰り広げられる。

  ペロの持ち味は、やっぱりなんてったってマシンガントーク。人の話を聞かないのがチャームポイント。母もマシンガントークで人の話を聞かない。この二人が一緒にテレビを見る。お互いにおしゃべりが止まらず、相手にも問いかけたり色々。もちろん、二人とも相手の話しを聞いていない。で、笑いのポイントになると、二人して顔を見合わせて笑うのだ。

  母がペロに話しかけるたびに「今、おばあちゃんが○○って言っていたよ。」とペロに注意をする。ペロが母に話しかけるたびに「ペロがお母さんに××って聞いてたよ。」と伝える。

  横で見ていると、話しっぱなし、言いっぱなし、問いかけっぱなし、で非常に気持ちが悪いが、それでも、笑いのポイントははずさず、二人で顔を見合わせてケラケラ大音量で笑う。

  こんなコミュニケーションあり!?

  と、真ん中世代のしほは思うのだ。


★  才能


  人の話を聞かない二人を見ていて、この5ヶ月間で、ちょっと考えが変わった。

  人の話を聞かずにしゃべり続ける、というのは、ある意味、最強なのだ。もちろん、パワフルに間断なくしゃべり続けることが必要である。おしゃべりが止まった途端、人につっこまれるからだ。ペロを育ててきたこの7年、間断なく「人の話を聞く耳をもて」と言い続けてきたが、しつけは、人の才能をおさえつけることはできない。彼女らは、間断なく喋り続け息切れしない才能を持っている。止まらない。止まったら死ぬのを証明したのは母だ。


■    学校公開でのペロ    ■

  学校公開が3度あった。学校公開とは、昔で言う授業参観だ。しほは全部みにいった。


  最初の一回目、5分と経たずに「バカなんだな。」と思わずつぶやいてしまう。そこからずっと2時間「バカなのかな?」「バカだねぇ。」「おバカなんだ…」のつぶやきが止まらない。あと2回の学校公開もずっと止まらなかった。


  さて、なにがそんなにバカなのか…。

  嗚呼、無理。5分ごとに思うんだもの。言い切れない…。

  中でも「うっひゃー」と思ったのは、国語の時間。

  まず、何人もの子が手をあげ、教科書のあるページを繰り返し音読した。ある程度手を挙げていた子がほとんど音読したあと、先生がみんなを見回しながら言った。

「覚えた!という人(暗誦できる人)いますか?」

  ペロがピンとまっすぐ手をあげた。クラスの中ひとりだけである。初めての学校公開で、ほぼ全員の親が「おお」と思うわけだ。しほもここまでの1時間半を取り戻せ!と思うわけだ。先生は、朗らかに優しく鼓舞する。

「ペロさん!やってくれますか?」

  親たちは、もちろん新1年生に優しい期待のまなざしをむける。さ、ヒーローになる瞬間だ!


「それはいい(ヘラヘラ)。」


  これが我が娘の元気はつらつの返事だ。

  親達ひく。そりゃひくよね。もじもじして断るんだったらまだいいのだけれど、そんなきっぱり断っちゃってさー。もう、ホント、勘弁してくれないかなぁ、、、。人目がなければ、柱に倒れこむところだ。


  一回目の学校公開が終わったとき、母として担任の先生に申し上げました。

「ああ、先生、落ち着きがなくてすみません。」

  先生の答えはこうだ。


「ちょっとねぇ〜〜〜〜」


  ああ、ひたすら、すみませんだ。


  今週、個人面談がある。低姿勢でいく、と決めている。


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