時間の感覚がない 2010/4/2(Fri)
2月末から激しく忙しくなり、あまりにも忙しくなりすぎて、ペロは大丈夫か?ペロは大丈夫か?と私が気が気でないほど忙しかった。ペロ自身は、あっちにお預かり、こっちにお預かり、ここで待機、という日々を送った。これからもまだそうなる。わたしは、しばらく皆さんの生存確認ができにくくなると思います。でも、みんな元気で生きてろよ♪
■ 卒園式 ■
そんな中、卒園式が行われた。
この幼稚園にしてよかったと思った。ひろぼーは泣いた。
通常、卒園式は、自分の子どもの背中をみるものだが、この幼稚園は対面式。
まず、親がホールに座り待つ。舞台上の壁には、子ども達が描いた絵。BGMは、今年一年歌った年長の元気な歌声のCD。その中、一人ずつ名前を呼ばれ、「はい。」と返事をした子が親達の背後から入場する。そうして壇上に上る前に、台の上に立って親達に手をふる。それを48人分。
壇上で雛壇に座る子ども達は可愛い。卒園証書授与。一人ずつ呼ばれる。その子の親も立つ。卒園証書をもらった我が子が親を振り返る。今年は人数が多かったので、親は一言、と決められていた。
「ペロ、卒園おめでとうございます。」
と、言おうとしたら胸がつまった。ペロが見ている。もちろん、その他の人も全員私達を見ている。やっとのことで言った。ペロは、「ありがとうございます。」と笑顔で答えた。
卒園式が終われば、親は園庭で待機。在園生も待機して花道をつくる。広告を細かく切って、∞の形に張り合わせたものを、花道を通る卒園生にぶつけるw。2週目からは、砂まじりの紙ふぶきをぶつける。
卒園式の看板には、卒園生全員の写真。それをとって、いざさらば!
謝恩会もなく、特に何もなく、ただただ祝うだけの手作りの式で、非常に感動した。
ペロたちが蛍の光のメロディで歌う「君の心よ。高くなれ。空より高く高くなれ。」「君の心よ。深くなれ。海より深く深くなれ。」も、園児の声で歌われると感動する。また、園児の声でいかにもこの幼稚園らしく、「けんかして。」「泣いて。」「病気して。」とマイナスのイメージもあわせて、ぼくたちみんな本当に楽しかったよね!の歌もよかった。
■ お土産 ■
卒園式にいただいたもの。ペロの絵で両面描かれたアルバム。年長の一年の写真が貼られている。ああ。本当に君は幸せだったね(^-^)。卒園文集も小学校なみだった。卒園証書は、親が用意した布に園児が自ら貼ったもの。
なにより嬉しかったのは、今年一年の年長たちの合唱などが入ったCD。この幼稚園は厳しくないので、女の子は結構きちんと歌っているのだけれど、男の子はやる気なしの歌があったり、音感のいい子どもが声をはりあげ間違った音程から救い出そうとしたり、1番は覚えていても2番以降はめちゃくちゃで、なにいっているのかわからなかったり、さびの部分だけは全員やる気で音量に差があったり、非常にこの年ならではの歌い方で可愛かった。ちょっと歌詞カードほしいけれどねw。最後には、「ぼくは○○○○(名前)です。大きくなったら時計職人になります。」などと一人一人のコメントが入る。受けたのは、「ぼくは×××(名前)です。大きくなったら宇宙人になりたいです。」いいじゃありませんかw!
ペロは、いつもそうなのだが、ここ一番では声が小さくなる。それでも声は通るので分かるけれどね。
「わたしはひろぼー家ぺろぼーです。大きくなったらバレリーナになりたいです。」
あと10年後、反抗期まっさかりのこの48人がどんな子になっているのか見てみたいなぁ。
■ いきなりの末期がん ■
しほ母が2月21日に大腿骨骨折。弟の奥さんがなんとか家から連れ出してくれて、あちこちの病院をたらいまわしにされた挙句入院。ここではまだ大腿骨骨折のみだろう。これから不便も生じるが、、、程度の認識であったが、翌々日、手術説明。兄と弟が行けず、またしても弟の奥さんが手術説明を聞くことに。
ここで、しほはどうして行かないの?と聞かれると思いますが、私は色々考えた末10年近く母とは絶縁しておりました。後方支援ならしてもいい、とこの数年、兄弟とも話し合ってきましたが、色々考えた末をほとんどの人が理解してくれません。わたしがバカか人情なしか、まあ、とにかくわたしが悪いということになっております。それでも、兄や弟が手術説明に行けばよかったのですが、行くのは、弟の奥さん。そりゃあ、違うでしょう。と、私も思うわけで、、、、。
兄や弟が行くなら絶対行きもしなかった手術説明で、母が末期がんであることを説明されました。
そこから、激しいことになっています。
わたしたち3兄弟ほど仲がいい兄弟はおらんのではなかろうか、と思うほど、毎週誰かと直球勝負のケンカをしていますw。
いくらなんでも、こりゃ、病院との関係最悪、どうにもならん、誰かがひかねば、、と苦渋の決断。この手の入院、介護、その他もろもろ、恐らく事務処理能力が最もある女のしほがひくことにしたのが、2週間くらい前。
大体、こういう入院、葬式などで、男が役にたったことをみたことがない。男って飾りなんだよね。こういうとき。でも、ご長男様がひけない。スリッパひとつにも文句つける。超うぜー。タオルひとつにも文句つける。超うぜー。S字フックにも文句つける。出てけお前、くらいの感じ。どこの小姑だ、それなら洗濯も全部しやがれ!とやったら、うちのお母様は、「長男のお前がやることはない。女のしほがやればいい。」とくらぁ、おいら泣いちゃいますぜ。おいらはなんですか?女中ですか?はしためですか?
しほ実家はもともと非常に男尊女卑思想の強い家で、わたしには義務はあるが権利はないことも沢山あった。ああ、子どもの頃、兄と弟はミロを飲めたのに、しほは女だから栄養分を飲むな、と言われ一滴も飲ませてもらえなかったなぁ、、、遊園地に行くときに、しほだけは家で掃除を命ぜられ行けなかったり、、、。そんなことまで思い出すのだ。
それでも、母は死んでしまうわけで、『死』は結構最強で、わたしたち兄弟もやめりゃいいのに、みんなバカみたいに優しくて、必死でやっています。
そんな中、病気に対する母の認識が私とあまりにもかけ離れていることに、先週気づいてしまい、疲弊しました。この人は、死ぬことも普通にできないのだなぁ。それも母の人生であるからある程度は仕方がないし、認めもするけれど、、、、。
わたしたち兄弟は、言っちゃなんですが、本当に優しいのですよ。異常なまでに。この異常なまでの優しさを食いつぶして死ぬのか、、、それも運命なのか、、。けれど、叶わないことかもしれないが、やっぱり親だからさ、多少は子どものことを思っている、、、嘘でもいいよ、パフォーマンスでもいいよ、やってほしかったなぁ、、と、わたしの中の小さいしほちゃんが泣いています。
これ以上、進んだら、わたしは手をひくかもしれない。ペロを母のところに引きずり込んでしまうかもしれない。まだ決められない。
もっと、普通に「母が死ぬ」事実に泣きたかった。わたしはきっといつまでも泣けないだろう。
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