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本家でレッスン。 もともと朝はスローテンポの人だけど今日はひときわ。気付いたら、レッスン開始20分前。うそ!?走りはしなかったけど、早歩きでスタジオに向かう。 注意はなかったけど、先生の私に対する雰囲気が大分元に戻ってきた。嬉しい。バーは早いテンポのものが多かった。ゆっくりならまだ自分で注意して動けるけど、早いとダメっすね、、。 今日はセンターでアダージオをやらせてもらえた。結構嬉しかった。半年前だったら、アダージオが嬉しいなんて思いもしなかっただろうな、、、。これは、スタジオAの先生方のお陰ですね。ただ、身重だから、とかそういうのではなく、やっぱりフラフラする。やっぱり何処か余裕がない。もっと音楽にのってできるといいんだけどね、、、。プロムナード(?)でコーナーを見ることを先生が注意していた。 飛びものになったので、見学席に移動。最後のプリエだけでも一緒にやりたいと思ったからお稽古着のまま。一応あったかいものを予め見学席に置いておいたんだけど、H先生から「着替えてから見なさい。こどもがお腹にいるんだから責任をもたなきゃ、云々。」と注意された。素直に従って着替えて見学。 スタジオAが舞台を意識してない、ということは決してないんだけど、本家の方が常に舞台を意識することを植え付けていると思った。しかし、見てるとめちゃくちゃ飛びたくなる、、、(笑)
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これから本家で週2回レッスンに出ようと思った。けど、今週は5週目で金曜はお休み。なので、今日は初級クラスのレッスンに特別参加。 | 人が沢山いた。もう少しで補助バー出さなくちゃいけない感じだった。今日も個人的注意は特になし。けれど、やっとH先生の態度が少し前に戻って来た。だって、復帰初のレッスンのとき、本当に変だったんだもん、、、(笑)。悪い意味じゃなくて、ね。 上から見学しても特に気付いた点はなし。やっぱり自分で踊らないとね。あ、そういえば、一つだけ、先生が人に注意していることがよく分からなかった。見学しててもわからない位だから、フロアーにいたら絶対わからないだろうなぁ、、と思った。
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今朝はスタジオAでレッスン。 | 先生は発表会で金平糖を踊ったK村先生。 発表会以来です。 やっぱり、K村先生大好き(^-^)。会えてめちゃくちゃ嬉しかった。レッスンしている間も、ずっとニヤニヤ笑っちゃった。だって楽しいんだもん。センターも飛びもの以外は全部やらせてもらった。 さて、注意♪ ★ アン・オーの手が広すぎ。 ★ ピルエットやフェアテなどのプレパレーションで手を中にふらない。 あ、そうそう。バーで先生から、「しほちゃん、しばらくやらない内に柔らかく綺麗になったね〜」と誉めてもらっった♪ センター。 ★ スートゥニューでのアン・オーへの手が遅い。気を付けてやってもまだ遅いみたい。 ★ アダージオでのシャッセ、ポーズの上半身。手を流れるように使っても脇をつぶさない。 ソ−・ドゥ・バスクの正しいやり方(笑)(いまさら!?) 6番方向から2番方向に行く右回りのソ−・ドゥ・バスクだとしたら、飛ぶ時は2番方向に身体を向けて、1番を通って左足ジュテ、裏向き、空中で足はハの字。表向きで右足クペ。OK?(笑) レッスンが終わった後は、発表会の写真を申し込むためにアルバムとにらめっこ。先生方の写真で欲しいのがあるけど、高いから買えないよ〜(泣)。大きい写真で、そこそこの写真が2枚。もう既に予算オーバーなので悩んじゃう、、。う〜〜〜んう〜〜〜〜〜ん。もうわかんなくなったので、最終的にはK村先生に選んでもらっちゃった(笑)。
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今朝は本家のレッスン。 | センターもほんの少しやらせてもらった♪ わたしに対する注意はなし。っていうか、これ出産後復帰まで注意はないかも、、、(泣)。 飛びものから、3階の見学席に移動。2階?のお稽古場全体が見えると、お稽古場が広いだけに使い方が甘いことに気付く。 立体的に動いてないんだよね。この数カ月、脳味噌がスタジオAになっている。ちっちゃいちっちゃいスタジオAのお稽古場。そこで、言葉を選ばないK先生が立体的にお稽古場を使わないことについて、かなりがんがん言っていたし、そういや、わたしの踊りで、主催者のO先生も「なんで、(しほは)そっちにいくかなぁ。」と言っていた。多分、これは本家のほとんどの生徒の癖なんだ、と思った。 いろんなことに気付く。本当、人の踊り見ているとなんでも言えるわ、、、、(笑)。自分はきっともっとできないのにね(ーー;)。 せっかく見学したのだから、先生の注意を羅列しようかと思ったけど、下の長文を書いてたら思いきり忘れちゃいました(笑)。 あ、一つ思い出した。 バーから離れて、パ・ドゥ・ブレで少し大きく自転するのをやった。この方向だけれど、ちゃんと方向をいちいち意識してやる(2番の次は3番に、、、ちゃんと7番まで方向を使って最後に1番)。
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お久しぶりでございます(笑)。 | このバレエ日記で伏せていましたが、8月24日、ちょうど発表会の3週間前に市販の判定薬で確認したところ、妊娠していました。ちょうどこの頃、レッスンこそ沢山出ていたものの、集中力に欠け、身体もだるくて大変だったのはそういうことだったらしいです。そういうことにしといてください(笑)。 翌週月曜日に病院に行ったところ、「妊娠している。」とは言われましたが、「おめでとう。」とは言ってもらえませんでした。ちょうど5週と5日。超音波で見ても影しか見えず、通常心臓が見えて初めて「おめでとう。」ということらしいです。 暗くなるかな? 実は長いこと子供が欲しかったものの、正直諦めていました。 だったら、なおさら嬉しかったでしょう?おめでとう♪ せっかく授かった命だから大切にね、となりそうですが、そうはいかないのが人生。 嬉しいことは本当に嬉しかったです。妊娠が分かった時、わたしの顔は輝いていたと思います。 ただね。長い時間をかけて9割方諦め、既にほとんど終わっていたのが【子供のいる人生】。『諦める』ことが必要でした。そして、諦めるための代用品になったのはバレエでした。 本家H先生は、これらの事情を全部知っていて、冗談でしょうが、「本家を生き甲斐にすればいいじゃないか。」と言ってくれたりしましたし、元プリマのT先生も、夫との生活とバレエを軸にすればいい、とアドバイスしてくれました。 『諦める』ための葛藤は激しく長く、これをぎりぎりのとこで辛うじて救ってくれたのは、H先生とバレエでした。 そして、目標は本家のスタジオ・パフォーマンスに、、、。 本家をクビになった原因は、スタジオAの発表会にH先生に無断で出ることにしていたこと。 このスタジオAのレッスンも、発表会も、究極を言えば本家のスタジオ・パフォーマンスのため。上手くなりたかったんだもん。ちゃんとH先生の振りを踊りたかったんだもん。だから、クビになった時のへこみはひどかったけど、なんとか立ち直れた。 本家をクビになった時、H先生は「強くなって帰ってこい。」と言った。だから本当に一生懸命頑張った。 スタジオAの先生もスタッフも生徒も明るくて楽しい人達だったし、熱気もすごかったので、H先生の言葉がなくても頑張ったとは思うけど、ね。 それでも、何かあった時はH先生のもとに心は帰った。スタジオAの練習はいつも尋常じゃない位遅かったので、クビになってから発表会までの4ヶ月間、必ず帰り道は本家の前を通ることで気持ちを繋いだ。 普通の神経であれば、妊娠が分かった時点で、発表会辞退を即断すべきでしょう。わたしはプロじゃないんだから、、、飽くまでやっていることは趣味のレベルでしかないんだから、、、。 ただ、わたしの気持ちが既に趣味をこえちゃっていたので非常に戸惑った。 発表会に出たら、流産する確率が高い、ということであったら、いくらなんでも、発表会辞退を決めたと思います。この初診の時の医師の答えはノー。運動するとかしないとかと流産は、妊娠初期の頃は関係ないそうです。 これが後押しとなり、発表会の練習をそのまま継続。一応、スタジオAの主催者O先生にはこの日に報告。 翌週、妊娠6週と5日目、発表会2週前に、心臓が確認され妊娠確定。母子手帳も貰う。この時に診察してくれた医師は、「発表会がそれほどの価値があれば出ればいいんじゃないの?」と発言。 この言葉を受け、発表会出演を決意していたものの、大袈裟に言えば1分毎に揺れ動く。 大丈夫、大丈夫。いや、ダメだったらどうしよう、、、。 結局、大きいジャンプが多かった『ロシア娘』を迷惑を承知でリタイア。 でも、『花ワル』だけは踊りたかった。この踊りたい気持ちを、言葉で美しく飾ることは可能だけどやめておく。欲望って言葉が適切かな(笑)。許容性は、ジャンプものがすくなかったこと。 『ロシア娘』リタイアは、多大な迷惑を周り中にかけたので、当然のこととして、主催者周辺からの風当たりが一時的に若干強くなった。わたしは人間ができていないので、覚悟はしていたもののやっぱりへこんだ。 最後の1週間。 心配を隠す主人は、「本家魂を見せてこい。」と言っていつも送りだしてくれた(笑)。《註・本家魂ってなに?とか聞かないこと》 無事に発表会終了。 こどもも無事だった。本当に嬉しかった。後は本家復帰だけ。 その足で本家に向かい、スタジオの外にいたH先生に頼む。妊娠を告げるまでは帰れそうだったんだけど、妊娠を言った途端、復帰不可。激しく落ち込む。 本家ジャズのH先生(女性)に相談したところ、「(妊娠)5ヶ月になるまでレッスンやめなさい。」と言われた。だから、とことんグレながらも、ただ時が過ぎるのをじっと待った。 復帰不可から復帰までの約1ヶ月半の間に、H先生や友達に会うために、2回本家スタジオに入った。4ヶ月振りにスタジオに入った1回目は、心臓がどきどきした。変わっているとこを見るとちょっと辛かった。2回目に本家スタジオに入った時は、心が不思議なほど落ち着いて、(ここにわたしが帰れない訳がない)と思った。 そして、5ヶ月に入ったので、11月7日に本家に向かった。わたしが家を出て数分後、偶然にも、本家H先生から安否を気遣う電話が自宅の留守電に入った。だからタイミングがよかったのでしょう。わたしを思い出してくれた時に、本家に向かったから。この日、復帰を許された。 翌週の復帰初の本家のレッスンは、 |